こんばんは。
今日は、時間をたっぷり使って
いい感じの記事を書こうと思っていたら
23時44分になった石原です。


なので簡単に、
思っていることを書きます。

ただ、思っていることです。


はい。
当然ですが
悪い人っているのでしょうかね?


結論からいうと、そりゃいると思います。

例えば
悪いっていう言葉で連想できることは
色々ありますね。


極悪犯罪人だったり
成績が悪い人だったり
性格が悪い人だったり


これら全部”悪い人”ですよね。


それはそれでいいと思うんですが
いつも何か違和感を感じるのです。


なんだか、この世の中の風潮として、
何か事件があったりすると、
はたまた自分がいる集団の中で
善くないことが起こったりすると

”悪い人”を探す傾向にある気がします。


そしてその人をつるし上げて、
罰を与え、問題を解決しようとしますよね。


上の例でいえばそれは
刑罰であり、
偏差値比較による説教であり
多数による批判だったりする。

そこがなんかすごいもやもやします。

あえて詳しく言えば
見ているものと
アプローチに、です。


悪者を捕まえて罰を与えるという
アプローチは、秩序を保つために
必要な行為だと思います。


ただ、それでは根本的な解決にならない
ということを気付いている人は
どれくらいいるでしょうか。


その悪を生み出したのは
結局その環境であり、
批判を食らいそうな言い方で言ってしまうと
”悪”というのは、
故障したシステムの中で生まれてしまった
システムエラーなのだと僕は思います。


当然ながら
悪い人は本当は悪い人ではないんだ
と言いたいではありません。


悪い人だけに注目するのではなく
作り出したそのシステムを見て
そこから修復するというアプローチが
根本的な解決のためには
絶対に必要です。

と、言いたいのです。


環境の影響力は
本当に強大なものです。

それは忘れてはいけないことだと
なんか今考えていました。


これについてはまた
もっと深堀して書きたいな。

とりあえず今日のところは
おやすみなさい。